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先日の秋葉原の事件のように凄惨な事件は
決してあってはならないことだと思います。 私が危惧するのは 犯人が心神喪失の状態にあったという理由で 無罪放免になる可能性がある点で どんなに病的な理由による犯行であったとしても それを繰り返す可能性がある犯人を 再び市井に送り出すことには強い抵抗を感じます。 もし自分が仮に被害者の親だったとしたら あのような非合理的な犯人による 非合理的な殺人を赦すことができるかと 問いかけてみると 法的なものを超えて 裁きを求める感情がある気がします。 タイトルは忘れましたが、 ずいぶん前に坂本龍一と誰かの対談本があって 子供が殺されたら仇討しますかという質問に対して 僕はやりますよみたいな話を読んだ記憶があります。 日本には古くから仇討の習慣があって 曾我兄弟の仇討ち 赤穂浪士の討ち入り 荒木又衛門の鍵屋の辻の決闘や なんかは日本三大仇討として いろいんな読み物にも登場することになっています。 そんな仇討の習慣を「よくやった」と褒める土壌にあると思います。 実際に江戸時代には法的に仇討が許されていて 仇討赦免状なるものがあって これを持って仇討をした場合には 仇を討っても無罪放免となっていました。 これを現代の世の中にそのまま復活させるのは どうかという気もしますが 被害者の親族の気持ちを思うと また仇討制度は復活させてもいいのではないかと 思ってしまうのでした。 |
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本日の日経新聞に買収防衛に関する経産省研究会の報告書に関する記事がありました。
こういうものを今論じているのを 国際的にはどう見られているのでしょうか。 さて最近読んだ本の中にも買収防衛策に関するものがありましたて その中で議論されていることに買収防衛策は誰のためのものかという点でした。 以前に議論になった会社は誰のものかという議論に似た話ですが その中で指摘されているのは買収防衛策は既存株主にとってのもので 株主価値(プレミアム)を上げるためのツールである点であったと思います。 買収によって身を追われる可能性のある経営陣の保身のためにあるべきではなく 交渉カードとして買収価格を吊り上げるための方策であるはずだということです。 言い方を変えると売らないための策であってはならないということです。 かつてあったユカルノ裁判やシェブロン裁判の判決を経て 米国における防衛策発動にかかる司法判断は その発動がnot for the proposalなのか それともnever accept any proposalなのかということに 依っているということです。 さて最近のバイオベンチャーのエグジットは 多くの方がご存じのように買収によるものに傾いているわけで 投資家の多くも買収を前提に考えていると思います。 これはIPO後の市場がスタックしていることから 致し方ないことではあるとおもいます。 一方で買収者にしてみれば どうか買ってくださいというポーズが あまりにミエミエな雰囲気になっているとすると 買い叩くいいチャンスに見受けられるでしょう。 先のプレミアムを上げるという観点からは 投資家サイドが 今買ってもらえないならいいですよ 我々が追加投資しますから でも、あとになると高いですよ というポーズを取れないとすると ほとんどネタばれの状態で交渉することになってしまうのではと 危惧しております。 仮に個別の会社が言っていなくても 業界全体がそういう雰囲気であれば同じことだと思います。 |




